宝塚歌劇団のスターとして輝き、妻として、母として「高島ファミリー」を支え続けた女優・寿美花代さんが、8月3日に老衰のため亡くなった。94歳だった。
葬儀は6日午前、東京都内の斎場で家族葬として執り行われた。所属事務所が同日正午、マスコミ各社に訃報を発表。息子で俳優の髙嶋政宏と髙嶋政伸も、それぞれの言葉で最愛の母をしのんだ。
兄の政宏は、最期に立ち会えなかったことを明かしている。
寿美さんはここ数年、誤嚥性肺炎による入退院を繰り返していた。亡くなる数日前に面会した際には、飲み込むことがほとんどできず、苦しそうな時間と安らかに眠る時間を繰り返していたという。
それだけに政宏の胸には、深い悲しみとともに「今は楽になって、ゆっくり休んでいるのだろう」という安堵の思いもあるようだ。
そして政宏が明かしたのが、入院中の母の驚くべき姿だった。
時折、病院の関係者が驚くほどの声量で話していたといい、その鍛えられた声は周囲でも話題になっていたという。宝塚の舞台で磨き上げた発声と、長年芸能界を歩んだ女優としての存在感は、晩年まで失われなかった。
政宏は、そんな母を「最期の最期まで大女優・寿美花代だった」と表現した。この短い言葉に、女優としての母への尊敬と、息子としての誇りがにじんでいる。
弟の政伸は、寿美さんが子どもや孫に囲まれ、眠るように旅立ったことを報告した。その場には、2019年に亡くなった夫・高島忠夫さんとともに愛した歌手、フリオ・イグレシアスの歌声が流れていたという。
「最期まで美しく凛とした表情のまま」
政伸が伝えたその光景は、華やかな舞台人生を歩んだ寿美さんらしい静かなフィナーレを思わせる。明るく優しく、どんな時もユーモアを忘れない母だったとも振り返り、これまで応援してきた人々へ感謝を伝えた。
寿美さんは1948年に宝塚歌劇団へ入団。男役として頭角を現し、ブロマイドの売り上げで1位になるほどの人気を誇った。端正な姿と華のある演技で観客を魅了し、星組トップスターとして活躍した。
人生の転機となったのは、テレビ番組の収録で高島忠夫さんと出会ったことだった。
交際中には忠夫さんから、原稿用紙につづられた大量のラブレターが届いたという。最終的なプロポーズは寿美さんから。1963年に宝塚を退団し、同じ年に結婚した。
夫婦をお茶の間の人気者にしたのが、日本テレビの料理番組『ごちそうさま』だ。1971年から1996年まで、実に25年間にわたって二人で司会を担当。ゲストの料理を囲みながら交わされる仲むつまじい会話は、多くの家庭に温かな笑顔を届けた。
政宏、政伸とともにファミリーコンサートを開催し、忠夫さんの代名詞だった「イエーイ」のポーズを家族4人で披露する姿も親しまれた。華やかな芸能一家でありながら、画面から伝わってきたのは家族の飾らない結びつきだった。
しかし1998年、忠夫さんがうつ病を発症すると、生活は大きく変わる。寿美さんは約10年間にわたり、自宅で夫を献身的に介護した。舞台やテレビで見せた華やかな姿の裏で、妻として夫に寄り添い続けたのだ。
忠夫さんの死後は芸能活動を減らし、施設で穏やかな日々を送っていたという。先月放送された『徹子の部屋』では、政伸が母の近況を語ったばかりだった。息子たちが訪れると目を開け、喜んでくれたという話からも、家族との絆が最後まで続いていたことが伝わってくる。
宝塚の大スターから、お茶の間に愛された妻、そして二人の俳優を育てた母へ。寿美花代さんが残した輝きは、家族の言葉と数々の作品の中で、これからも生き続ける。
そして、息子たちが明かした“最期の声”には、寿美花代という大女優の人生を象徴する、もう一つの物語が刻まれていた。
葬儀は6日午前、東京都内の斎場で家族葬として執り行われた。所属事務所が同日正午、マスコミ各社に訃報を発表。息子で俳優の髙嶋政宏と髙嶋政伸も、それぞれの言葉で最愛の母をしのんだ。
兄の政宏は、最期に立ち会えなかったことを明かしている。
寿美さんはここ数年、誤嚥性肺炎による入退院を繰り返していた。亡くなる数日前に面会した際には、飲み込むことがほとんどできず、苦しそうな時間と安らかに眠る時間を繰り返していたという。
それだけに政宏の胸には、深い悲しみとともに「今は楽になって、ゆっくり休んでいるのだろう」という安堵の思いもあるようだ。
そして政宏が明かしたのが、入院中の母の驚くべき姿だった。
時折、病院の関係者が驚くほどの声量で話していたといい、その鍛えられた声は周囲でも話題になっていたという。宝塚の舞台で磨き上げた発声と、長年芸能界を歩んだ女優としての存在感は、晩年まで失われなかった。
政宏は、そんな母を「最期の最期まで大女優・寿美花代だった」と表現した。この短い言葉に、女優としての母への尊敬と、息子としての誇りがにじんでいる。
弟の政伸は、寿美さんが子どもや孫に囲まれ、眠るように旅立ったことを報告した。その場には、2019年に亡くなった夫・高島忠夫さんとともに愛した歌手、フリオ・イグレシアスの歌声が流れていたという。
「最期まで美しく凛とした表情のまま」
政伸が伝えたその光景は、華やかな舞台人生を歩んだ寿美さんらしい静かなフィナーレを思わせる。明るく優しく、どんな時もユーモアを忘れない母だったとも振り返り、これまで応援してきた人々へ感謝を伝えた。
寿美さんは1948年に宝塚歌劇団へ入団。男役として頭角を現し、ブロマイドの売り上げで1位になるほどの人気を誇った。端正な姿と華のある演技で観客を魅了し、星組トップスターとして活躍した。
人生の転機となったのは、テレビ番組の収録で高島忠夫さんと出会ったことだった。
交際中には忠夫さんから、原稿用紙につづられた大量のラブレターが届いたという。最終的なプロポーズは寿美さんから。1963年に宝塚を退団し、同じ年に結婚した。
夫婦をお茶の間の人気者にしたのが、日本テレビの料理番組『ごちそうさま』だ。1971年から1996年まで、実に25年間にわたって二人で司会を担当。ゲストの料理を囲みながら交わされる仲むつまじい会話は、多くの家庭に温かな笑顔を届けた。
政宏、政伸とともにファミリーコンサートを開催し、忠夫さんの代名詞だった「イエーイ」のポーズを家族4人で披露する姿も親しまれた。華やかな芸能一家でありながら、画面から伝わってきたのは家族の飾らない結びつきだった。
しかし1998年、忠夫さんがうつ病を発症すると、生活は大きく変わる。寿美さんは約10年間にわたり、自宅で夫を献身的に介護した。舞台やテレビで見せた華やかな姿の裏で、妻として夫に寄り添い続けたのだ。
忠夫さんの死後は芸能活動を減らし、施設で穏やかな日々を送っていたという。先月放送された『徹子の部屋』では、政伸が母の近況を語ったばかりだった。息子たちが訪れると目を開け、喜んでくれたという話からも、家族との絆が最後まで続いていたことが伝わってくる。
宝塚の大スターから、お茶の間に愛された妻、そして二人の俳優を育てた母へ。寿美花代さんが残した輝きは、家族の言葉と数々の作品の中で、これからも生き続ける。
そして、息子たちが明かした“最期の声”には、寿美花代という大女優の人生を象徴する、もう一つの物語が刻まれていた。
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(出典 @livedoornews)
ライブドアニュース
@livedoornews【訃報】女優・寿美花代さん死去、94歳 老衰のため news.livedoor.com/article/detail… 東宝芸能は「寿美花代 は、老衰のため、8月3日(月)午前4時43分に永眠いたしました。(享年94歳)ここに心から哀悼の意を表すとともに、謹んでお知らせ申し上げます」と発表した。息子は次男が高嶋政宏、三男が政伸。 pic.x.com/mmYLciHeHG
(出典 @4i2P0MTcZT15C3J)
令和のリアル電車男
@4i2P0MTcZT15C3J寿美花代さんがお亡くなりになられたことにより、初代の高島忠夫さん寿美花代さんご夫妻、二代目の三橋達也さん安西郷子さんご夫妻、4代目ではマイナーチェンジ後に長島茂雄さんが🥹だんだんと昭和が遠くなりましたね。 pic.x.com/eHXoeDbCp6





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